意 見 書
2006(平成18)年6月26 日
総務省自治行政局自治政策課企画第二係 あて
法務省民事局民事第一課法規係 あて
郵便番号:〒160 −0023
(ふりがな)
住 所: 東京都新宿区西新宿8−2−5
(ふりがな)
氏名(注1):東京自治体労働組合総連合
      委員長  堤 敬
電話番号:03−5348−6881
電子メールアドレス:honbu@tokyo-jichiroren.org
@ 競争の導入による公共サービスの改革に関する法律に基づく公共サービス実施民間事業者の要件に関する省令案(概要)
A 納税証明書、住民票の写し等又は印鑑登録証明書の交付の請求の受付及び引渡しの業務の公共サービス実施民間事業者における実施に関する省令案(概要)
B 戸籍の附票の写しの交付の請求の受付及び引渡しの業務の公共サービス実施民間事業者における実施に関する省令案(概要)
C 戸籍等の謄本等又は登録原票の写し等の交付の請求の受付及び引渡しの業務の公共サービス実施民間事業者における実施に関する省令案(概要)
に関し、以下のとおり意見を提出します。
なお、各省令案(概要)に係る意見の提出先は以下となります。
@については、総務省又は法務省
Aについては、総務省
Bについては、総務省又は法務省
Cについては、法務省
(以下に意見を記載する。別紙に記載する場合は「別紙に記載」と記載し、意見を記載した別紙を添付する。)


別紙のとおり





注1 法人又は団体にあっては、その名称及び代表者の氏名を記載すること。
注2 用紙の大きさは、日本工業規格A列4番とすること。別紙に記載する場合はページ番号を記載すること。

意見書
 競争の導入による公共サービスの改革に関する法律(以下「法」第34条に基づく省令に関して、下記のとおり、意見を述べます。

 「法」は、官業を民間事業者に明け渡すことを前提として、第34条2項及び9項に関連して、パブリックコメントを求めています。しかし、官業の民間開放については、根本的な問題として以下のようなことが挙げられます。
「規制改革・民間開放推進会議」(以下「会議」という)は、議論の中で、「公権力の行使」や「公務員」の概念についての検討を事実上回避してきました。主権者である国民、住民の生存権を含む基本的諸権利に対する責任と負担の保障の検討を回避しているともいえます。その一方で、民間委託や民営化、さらに「指定管理者制度」導入などこの間、「行政改革」・自治体構造改革として、「官業」の民間開放・市場化を強引に進めてきました。
 さらに、「制度の仕組みを変えることにより、『公権力の行使』の問題に立ち入ることなく民間開放を進めることができる」事例として介護保険を取り上げていること自体、「官業の民間開放の推進」の狙いが、「措置から契約へ」という今日の「社会福祉の基礎構造改革」による国民の生存権保障に対する国・自治体の責任と負担を極力回避・縮小し、医療、福祉、教育等を「商品」として取り扱う民間企業の儲けに明け渡すところにあることを如実に示しているといえます。
「会議」は、「行政権の行使についてはその発動・結果に対して内閣が責任を負うという理」に関して「内閣が責任を負いうる措置を講ずるときは」「必ず公務員が遂行しなければならないということにはならない」と述べています。
今日の「措置から契約へ」に基づく「選択と自己責任」や健康や安全に関わる最低基準すら取り払う野放図な「規制改革」の横行、さらに、BSE、鳥インフルエンザや薬害HIVへの国の対応や原発、大手自動車メーカーのトラブル隠し・偽報告を鵜呑にする実態は、「内閣が責任を負いうる」状況にないことを示しています。
「会議」は、行政裁量の意義の検討を回避した上で、「行政裁量」を頭から否定し、「マニュアル化・ガイドライン化」を全面的に打ち出しました。これでは、長引く不況下でリストラ、雇用不安、営業不振等に喘ぐ国民のくらしと福祉の実態に即し、そのひとりひとりの願いに決め細やかに対応するという国民課題を具体的に解決することが出来ません。対人サービスにおける公務員としての行政経験の蓄積と継承が実現する血の通った事務・事業を事実上否定するものであり、「官業」をマニュアル一点張りの慇懃無礼なものに変質させるものといえます。
「会議」は、「必要な措置を講ずることで足りる」と述べ、省令案で具体的な措置について記述していますが、実際には「必要な措置」が十分講ぜられていません。とりわけ、インターネット事業者、金融機関、信販会社等の相次ぐ顧客情報等個人情報の流出とこれとの関連も指摘されている架空請求問題は、営利のためなら国民の人権もプライバシーも踏みにじってはばからない民間事業者の「守秘義務」確保に関する措置の脆弱な実態が浮き彫りになっています。その一方で、企業にとって不都合な情報やデータは捏造あるいは隠滅することが横行していることがこの間の大手ビルの回転ドアや大手自動車メーカーの事故、欠陥隠し、原発のトラブル隠し等に見られます。情報管理が国民の立場でなく、企業の利益のために行われる危険性があります。
「会議」は、「最終判断権が行政に留保されておれば足りる」と述べていますが、実際には、行政に「最終判断権」が真に留保されているか否かが問題なのではないでしょうか。たとえば、「検疫」では、当該事務・事業が相次ぐリストラによってその体制が脆弱化され、「規制改革」によって食品等の安全基準が緩和、切り下げられました。しかも、公正な最終判断を下すべき行政が、BSEの例に見られるように、外国政府の圧力に屈して輸入検査等行政が歪められるような実態があるのは周知の事実です。
「会議」は、そもそも当該事務・事業をなぜ従来「官業」で行ってきたのかの検討を回避しています。言いかえると従来の「官業」が負っていた国民・住民の生存権保障等基本的諸権利に対する責任と負担をどのように確保するのかという検討がなされていないのです。「当該事務・事業の市場性・効率性等を客観的に測ることができるようになる『市場化テスト』を早期に導入することが重要」と述べていますが、「法」の早期導入のみが企図され、「官業」を強引に市場の競争原理、コスト至上主義にさらすことで、民間企業の採算ベースに沿って「事務・事業」を再構築・「リストラ」しようとするものといえます。また、「官が行うべきと主張される事務・事業については、そもそもそのような事務・事業を継続させるべきかという視点からの吟味も必要」という言い回しで、事実上市場性・効率性のないサービス、したがって従来「官業」ベースで行ってきた国民にとってはかけがえのないサービスを切り捨てていくという宣言であるといえます。介護保険制度が始まった折、いったんは地域展開していた大手の介護保険事業者が「利益が見込めない」としていっせいに撤退し、多くの自治体が介護保険事業の運営に大きな支障と困難に直面させられた事実を忘れることはできません。
日本中で社会的な大問題となった「耐震強度偽装問題」のおおもとは、1998年の建築基準法「改定」による建築確認・検査の「民間開放」にありました。「効率性」と「コスト削減」が優先され、「違反建築」が事実上見逃され、居住の安全という国民の生命、財産に対して国や自治体が負うべき根本的責任すら蔑ろにされてきたことを象徴する「事件」といえます。
同時に、建築確認・検査等の「民間開放」が行われたとしても、「特定行政庁」たる自治体の「監督・監視責任」が免れるものでなく、「最終責任」はなお行政にあることを司法は下記の通り、明らかにしました。
「指定確認検査機関による確認に関する事務は、建築主事による確認に関する事務の場合と同様に、地方公共団体の事務であり、その事務の帰属する行政主体は、…建築主事が置かれた地方公共団体である」2005年6月 最高裁第二小法廷判決
ところが、「民間開放」が進んで公務・公共サービスを担っていた部門の専門性が希薄化し、その最終的「監督・監視責任」を全うするだけの知識・技能も低下し、結果として「構造計算書偽造」を自治体の建築担当も見抜けなかった事例があったことが、この問題の重大性を示しています。
神戸市では、自治体の側が民間検査機関での確認・検査を奨励する文書まで発し、民間機関の確認・検査が全体の99%を占めるに至る状況も生まれたことが報道されています。
 公共交通として負うべき安全に対する責任よりも「(儲けを)稼ぐ」を最優先して、新型ATSへの切り替え等必要な安全運行設備の整備を怠り、高速・過密な運行ダイヤで列車脱線を起こし107名もの尊い命を奪うことになったJR西日本の事故は公共交通に対する国民の信頼を大きく損なうものとなりました。
鉄道交通に止まらず、エンジントラブルや部品落下事故等航空機の相次ぐトラブルもその背景に点検・整備に関わる「規制緩和」があることが指摘されています。
さらにBSE汚染の疑いが濃厚なアメリカ産牛肉に関して、「(生後20ヶ月以下という月例判定)や「特定危険部位の除去」が適切に行われるとすれば「(アメリカ産と国内産との)リスクの差は小さい」という不確かな根拠による「検査基準緩め」が行われ、多くの国民や関係者の不安や懸念を押し切ってまで輸入再開を行うことが05年11月の小泉・ブッシュ会談で確認され年末に実施されました。国民の健康や食の安全よりもアメリカの関係業界や日本の大手牛肉輸入業界の利益を優先する動きといえます。
いまや、あらゆる規制が緩められ、あるいは取り払われ、企業の儲けのために事実上「ルールなき社会」が現出しているといえます。その規制取り払いの究極のかたちが、社会の基本ルールであり国の最高法規である憲法そのものを蔑ろにしようとする改憲の動きであり、こうした重層的な規制取り払いが進行しているのが今日の事態ではないでしょうか。
この動きをいま、自治体に進行している「民間化・アウトソーシング」を加速させる「地方行革新指針」(05年3月)とリンクしている「分権型社会における自治体経営の刷新戦略」(05年3月)の記述と読み重ねて考えてみます。そこには「住民の負担と選択に基づいた、個々の地域にふさわしい総合的な公共サービスを主体的に提供する」と述べられています。そこには憲法に規定された生存権や基本的人権を保障し、その福祉の増進を図るという視点は消え、「行政に対する住民の受益と負担の関係を明確にしていくことが必要」と、負担できなければ「全国一律の最低保障責任」も果たすことなく「地域間格差」が生じても構わないという発想がうかがえます。「地域間格差」を「地域の個性」と見なし、地域間「格差拡大」が進行することが「地方分権」だと強弁するかのようです。
 05年度に試行実施されている「市場化テスト」モデル事業(ハローワーク関連を始めとした3分野8事業)はもちろん、06年度本格実施に向けて募集され、提案のあった事業の大部分が「民間提案」によるものとなっています。しかも、当初は「官が提供しているサービスと同種のサービスを提供する民間事業者が存在する場合」という限定つきでしたが、その後、その「規制」さえ取り払われ、「官業」に相当する民間事業者のサービスが存在しているか否かに関わりなく対象事業に選定することが追求されてきました。
この考えをさらに推し進め、「公共サービス全般について、その必要性…を不断に見直すことが必要」(「推進会議」「提言」:05年9月)という表現に示されるように、憲法25条に規定された「健康で文化的な最低限度の生活を営む(国民の)権利」を保障する国や自治体の「社会的使命」(=存在理由)に由来する公務・公共サービスを競争原理によって選別し、結果として市場性のないサービスを切り捨てていくことを意図していると言わざるをえません。「推進会議」の「提言」を受けた「内閣府市場化テスト推進室」が05年11月に発した「市場化テスト法案の制定に向けて」では、「不要な公共サービスの廃止」とまで宣言し、採算ベースに合わない公務・公共サービスを切り捨てる意図を隠そうともしていません。
「法」の実施にあたって、対象事業の選定から落札者の選定、さらに継続的なモニタリング(監視・検査等)を含む「全ての実施プロセスの監視等を行う中立的かつ強力な機能を有する『第三者機関』を内閣府に設置する」とされています。
この「第三者機関」が継続的なモニタリング(監視・検査等)の結果等を踏まえ、当該公共サービス等を廃止することが適当と評価される場合再入札は実 施しないとし、「当該公共サービスの廃止等の措置を決定する」とされています。
つまり、「市場化テスト」の「対象事業」も民間提案を「最大限尊重し」、「事業選定」にあたっても「民間人を中心とした…第三者機関の議を経て」決定し、「すべての実施プロセスも…『第三者機関』で行う」、さらに、「継続的モニタリングの結果等を踏まえ、…公共サービスの廃止等の措置を決定する」ことまで、「公共サービスの不断の革新」の名で公務・公共サービスの存否と実施に至る全てのプロセスが民間事業者の意向によって左右されるという構図が浮かび上がってきます。
「第三者機関」は「透明性・中立性・公正性を確保する」と言いつつ、「民間人を中心とした専門性の高い優秀なスタッフを一定程度有するものとすべき」とされています。この点でも「耐震強度偽装問題」で民間の「指定確認検査機関」が「構造計算偽造」を見抜けなかったことなど「民間人を中心とした専門性の高い優秀なスタッフ」がコスト削減と効率性を最優先するあまり、安全確保の点で事実上、機能不全であったことを思い返す必要があります。
したがって、省令案で述べている項目は、個々の記述がどうかという前に、民間事業者には実行困難、あるいは責任を取ることが期待できないものが多いのです。そうしたリスクがかなり高い可能性で予想されるにもかかわらず、なぜ民間開放しなければならないのか。
私たち自治体に働く労働者は、地方自治法にある「住民の福祉向上を図る」観点から、地方自治の充実及び公務・公共性を守ることを求めます。